脳内披露宴

伊佐爾波の脳内、覗いてみたくない?

感動の体温、然り

叫ばれている。

ハラスメントの豪謔性(ごうぎゃくせい―USBを挿すときに上下を2度間違えるような性質)は、近年まれに見る大問題である。

 

キミはチャイムを鳴らす側に回ったことがあるか?チャイムは鳴らされるものだと思っていないだろうか?

実は、チャイムは簡単に鳴らすことができる。

 

MEGMILKと毎日骨太の匂いの違いを言語化するよりも、27まわりほど簡単。

 

そして、ペットボトルの名前。これは由々しき事態ではないか。

「由々しい」は通例「―事態」などと連体形で用いられる。これがもし、未然形だったら……

 

 

戦慄

 

 

物事のすべてを未然形として片付けるのは善か、どちらかというと善か、どちらかというと悪か、悪か――

 

アンケートを取ることにした。

 

アンケートの結果$$$$$$(←三点リーダーの次を担う三点ドル)

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どちらかというと善だった

 

 

しかしここで気になるのは、2票という数字だろう。なぜ整数なのだろうか。

整数というのはある種神秘的な状況を意味する。実際、神聖な数字というのはいくらでも例があるものだが、ほぼ全てが整数である。

そもそも整数という熟語自体が優秀なのだ。由由しと由ありの中間くらい優秀。

 

従来の論ならば、このまま整数を賛美して終了だろう。しかし、今回は新たな角度から切り込みを入れる。

それは、整数の「正」の部分が「負」だったらどうなるか、ということである。

たしかに、整数は正・負・ゼロに拘らず小数点以下が存在しない数の総称と捉えられるため、正のみを含む「整」を用いるのは浅はかな行為に思える。そこで、実験的に正を負に差し替えることによってどのような効能が生まれるのかを検証する。

 

二.実験内容

 Ⅰ.シュルグシュトローム方式での実験

 2056年に確立されたシュルグシュトローム方式は、音便の部分に用いられることは多くとも、文字的な意味に用いられるのはほぼないに等しい。それをなぜ用いるのかは、実験作用的な観点から事後に触れることとする。

 まず納豆(200.00ml)とiPhone XS(0.10mol)を均等にタッパーに詰める。この際、すり下ろしたししゃもを用いるよりも野いちごを用いるほうがスムーズに換気される。これを標準状態で1時間程度放置することで、下準備が完了する。

 電気料金払込取扱票を2枚用意し、上下に重ねて鶴を折る。払込受領証を切り取る場合と切り取らない場合の差異はほとんどなく、無視できる程度である。バーコードの厚みを考慮すると、赤外線の照射は5.08cmの距離から行うのが最も理想的な反応を期待できる。

 実験結果として、有効数字を小数第二位までとするのは整数の神秘性にあまりつながらなかった。

 

 Ⅱ.田淵 御座敷理論に基づく段々畑式ツクモグラム

 この章を読む必要はない。これは純然たる警告。これは過去からの強襲。自己分離と自己再生を繰り返す論理は、自身すらもそのアクト・ベース・カリキュラムに組み込むことでKFLを促進させ、最終的にはゾーンの中心域に置換される形で活動を停止する。音波は空気を伝わるのではない。空気は元素の集まりではない。元素のない空間=Non-Quowaken識別フォーティリティの狭間に介入する。だからこそ光と音は共存でき、Quowakenが音を認識することができる。外宇宙からの圧縮によって太陽系の崩壊が進んでいるのは周知の事実であるが、それすらも超外宙域からの圧縮の影響を二次的に受けているに過ぎないのだ。ゆえに、ここに天然資源慈眼宣言練麺を創出するものである。したがって、整数はこの推論を妥当なものだと認めるに値する。

 

以上のことから、やはり人生においてレンガ張りの道路の存在は重要であるということが発見された。

 

 

 

 

 

線路は始まっている……

 

 

 

 

既に